一怒一老 一笑一若

 

1回怒ると年を一つ取り
1回笑うと年が一つ若返る

 

と言う中国にある言葉だそうです。

 

これは言葉だけではなく
実際にそういう作用があると思います。

 

相談者さんに例えれば
来られる時には「年齢不詳・・・」と
感じる人でも
これは実は人相や姿勢から感じているのです。

 

笑顔もなく悩みを抱えている訳ですから
明るく入室されるのも難しい。

 

話し方も下を向きボソボソ話されるので
年齢よりも老いて見える訳です。

 

運命表を見ていなければ年齢不詳のまま。

 

ですが相談が終わり笑顔が戻り
前向きや明るさを取り戻すと

人相や姿勢も人は変わります。

 

まるでビフォー、アフターです^^

ですが人の心の作用はそれほどに影響があると
言う事にも繋がります。

 

1回怒れば老けると言うのはまさしくそれです。
1回笑えば若返ると言うのも頷けます。

 

よくテレビで犯罪者の方の写真や
諸外国の裁判の様子などを放映していますが
それらを見ていると
とても意地悪い顔に見え又はとても老けている。


年齢からは想像もできない年齢であったり
事件を聞いたりすると


「なんかやりそうな顔・・・」なんて


思う事はありませんか?

 

犯罪をしている人にはそういう顔
善行をしている方はそういう顔

顔と言うのは自然と出てきてしまうものです。

 

それが心に反映されると考えれば
意地悪な人や親切な人
それらも心から発動されていると
知ることが出来ると思います。

 

心に嘘はつけないし
隠すことも出来ないと言う事です。

 

嫉妬や恨み、妬みなどは
とても醜い心となるでしょう。


意地悪や歪んだ心も
とても顔に出る事でしょう。

 

心の在り方と言うのは
自分が隠せるとか何とかなると
思っているほど隠せてはいません^^

 

どんなに豊かな社会になろうとも
どんなに貧しい社会になろうとも
心を外して物事を語るのは難しい。

 

人間社会に
心のバランスは重要なのです。

 

気持ちだけで何もできない!!と
言うのは私からすれば少し違う。

 

むしろどんな経営者でも
どんなお偉いさんでも
必ず 心ある奉仕、心ある実り、心ある誠意
をどこかに持っていなければ
その会社、経営、人事はどこかで
壊れてしまうものであると感じます。

 

また長続きはしない事でしょう。

 

豊かである事の意味を
お金、物質だけに求める事は
寂しき結果を見る事となり
信じるものを欠いた実りとなります。

 

足元は落ち着きなく
不信と不安の中でいつか倒れます。

 

ですが心ある実りを実践をすれば
豊かなる実利と奉仕と精神を備えた
揺るぎない堅実となることでしょう。

 

なぜ人が愛と言う言葉に
こだわるのか愛されたいと願うのか
真実を知ればこそ
人に愛は不可欠なのです。

 

そういう生き物を
神様はこの世に産んでいるからです。

 

親と子の繋がりがあるすべての生物において
愛は絶対であり外せないのです。

 

親、子、芽、葉、種、枝
宇宙、地球、
太陽、月、神、仏、天、地など


無数の繋がりが
私たち人間を育んでいるのを
わかることが出来ると思います^^

 

怒ることはすべてに影響を与えます。


笑う事もすべてに影響を与えます。

 

小さいことと感じますか?
大きいことと感じますか?

 

その答えが今のあなたです

 

2011-01-28 過去記事より

 

さて^^

今回は あなたの人生を

一緒に考えてみましょう

 

あなたの今までを振り返ると言う事。

あなたが28歳であれ40歳であれ50歳であれ
1回真剣にあなたが生きてきた道のりを
振り帰り真剣に考えてみる事と
言うのもとても大事ではないかと思います。

 

人生はだいたい3つに別れます。


若い時期、中年の時期、年老いた時期

これはあなたの生きてきた人生であり
あなたの生きて行く人生でもあります。

 

与えられた人生を
与えられたと生きるのか・・・

与えられた人生を
しょうがないと生きるのか・・・

与えられた人生を
ありがたいと生きるのか・・・

 

私は常に自分に問います。
生き方が死に方であると。

 

それを思った時
与えられた1日を感謝して生きる方が
自分の生は有意義なものになります。

 

私の所にはありがたいことに
年齢を重ねられた年配の方が来ることが
結構あるのです。

 

その方々、みなさんほとんど言うのです。

 

「笑わないで下さいね。先生・・・
私この年齢になって学びたいと思いました」

 

「この年になって気づきました。
お恥ずかしいのですが・・・今からしても
おかしくはないでしょうか?」

 

と、おっしゃる方々。

年齢でとか今からとか関係ないと
常々口にしています。

 

あと、感じるのは
過去を振り返り学ぶ、知る、感じると
言うのが年齢を重ねて生まれると言う事です。

 

言い方を変えればとてもシンプルに
当たり前の事で
老いるからこそ知るのです。


老いと言うのは若いころ、若い人からすれば
バカにすることかも知れません。

 

若いからこそ
若さゆえに年齢を武器に若くいられるのです^^
若さとはそういうものなのです。

 

年齢を重ねると言う事が
どれだけ素晴らしくどれだけ
智を知る事か・・・
長く生きたものにしか言えない言葉
と言うものもたくさんあるのです。

 

私は祖母に戦争の話を聞くたびに
歴史の証人であると感じてきました。

 

食べ物が無いと言う事はどういう事か。


人を思いやると言う事はどういう事か。


痛みを知ると言う事はどういう事か。

 

これは目の前で死体を見て
目の前で飢えている人を見て
目の前でその時代を見た人にしか
言えない事なのです。

 

生きると言う事は
ただ日々を過ごしているのではなく
生きながら感じているのだと言うのを
知るのは生きて時を重ねてからなのです。

 

豊かになることが
置き忘れてしまう事の中に
過去を過去として
置き去りにして振り返らない事です。

 

過去があるから今があり
今があるから未来があります。


だとすれば今が良ければいいのではなく
今も過去になると言う事を
忘れてはなりません。

 

今の積み重ねが未来を産むのです。

 

今を軽視することは
過去を軽視するのと同じことなのです。

 

今・・・と言うのは
すべてに通じる道なのです。

 

心ありて今があり
今を無くして未来は無いのです。

 

あなたの心が
感じることが大事です。

 

2011-01-28 過去記事より

 

我慢が出来ないと言うことについて

触れていきたいと思います。

 

我慢が出来ないと言うことは

思ったこと、感じたことなどをそのまま

噴き出させてそのままの言葉で

人が傷つこうが付くまいが

ドンドン口をついて出てくると言うことです。

 

自分の言い分

自分の言い訳

の事です。

 

例えば注意した時。

 

 

 すぐにイラッとして顔に出る

 睨みつける。

 「はい」と返事をしながらふてくされる

 とりあえず謝る。

 言い訳を始める

 誰かのせいにする

 何かのせいにする

 次は気を付けますと言う

 次はもうやりませんと言う

 

これが一通りなんです。

 

まず

 

 イラッとすると人は口調に出ます。

口はへの字になり顔をうなだれます。

特徴としてトーンは下がり声が聞こえなくなります。

 

 これは自分では気づいていません。

ですが目は口ほどに物を言います。

ただ見ているだけと言う方が多いのですが

にらんでいる側の問題ではなく

見られている側が判断することなのです。

 

 返事をしながらふてくされる。

これは番と似ています。

返事はしてますが納得はしていないものです。

 

 とりあえず謝る。

そうですね、処理は早いですね。

ですが謝ると言うことは心の理解も伴う事

ですがそのほぼは形だけなので

私は「ごめんなさい」を信用していません。

答えと言うのは行動で出るものです。

 

 なんでそうなったのか?

今回どうしてこうなったのか?

実は・・・あの・・・と後付けが増えます。

あの時、言えなかった、雰囲気が・・・気持ちが・・・

など言い訳はいらないのです。

後付けをする人はずっと変わることはありません。

 

 たちが悪いのですが^_^;

妹が・・・お母さんが・・・弟が・・・と

誰かのせいにしてはなりません。

その有無はすべて自分の起した結果です。

 

 生い立ち、環境、気分など

何の言い訳も意味は成しません。

その言い訳すらも出来ない為の言い訳なのです。

 

 次は気を付けますと必ずこういう場合

2回、3回と繰り返しています。

気を付けますとは気を付けて素通りすることではありません。

気を付けているからこそ防げるているはずなのです。

結果を出してしまったら 反省 しかないのです。

 

 これも番同様、何とかしなければ

いけないので言い訳の言い訳です。

気を付けます、次はやりませんと段階を得て必ずここです。

やりませんと言って本当にやらないのは

よほどの意志と注意と行動があっての事です。

深く反省すべきが先。

 

 

そしてここが一番大事です。

配慮する、訓練する、コントロールする。

 

この意識と自分の持っている個性を

ぶつけて折り合いを持つ

または自分の持つ意志を明確にし

それを本気で改善する意志です。

 

癖だのなんだの言っても

環境や親のせいにしても友人のせいにしても

最後は自分が

意志を奪われているからです。

 

律してコントロールする。

 

出来ないよ〜と言う方。

出来ないです・・・諦めて下さい。

自分の口で言い訳をする、マイナスを発する。

これらは改善の余地なしです。

自ら 「無理」 と言っているのと同じです。

 

ですが自ら意志を持てばそれは変わります。

 

潜在意識の発動は

あなたの意識や精神が発動した時から

間違いなく発動します。

 

ですがそれをひねくれず素直に

前向きにポジティブに開いてこそ

先に必ず改善があります。

 

難しい〜〜

意味がわからない〜

甘えている場合ではありません。

 

誰かが与えてくれている人生ではありません。

自らの頭を使い

意識を集中し自らをよく見直して下さい^^

 

改善点は山ほどあるはずです^^

人間ですから成長の為に時間を使いましょうヽ(^o^)丿

 

2011-01-27 過去記事より

 

最近うつ病と言う方がたくさん来られます。

 

ですがその半数以上は

お医者さんに見てもらったこともなく

自己診断で

 

 ネットで見た・・・

 本であてはまった・・・

 友達に「うつじゃない?」と言われた

 親に「うつっぽい」と言われた

 うつだとわかっているから病院に行かない

 

と、言うような理由が聞かれます。

 

私は数々の方の言葉を聞いて

最初に思うのは

 

「思い込みが・・・」 と言うことです。

 

1度必ず 

自分勝手な判断 ではなく

医療機関にかかるべきです。

 

または

 

「うつだから・・・」と自慢げに言うのは

実は少しそれを喜んでいる闇がある気がします。

 

そういうと落ち着く。

そういうと若干逃げ道が出来る。

 

本当に苦しまれている様子の方もいます。

 

ですが言い訳に使う人がいるのも事実。

 

世の中

聞いて欲しい人が増えています。

それに対して

聞いてあげる人が減っています。

 

なぜなのか・・・

自分の事を言うのはいいけど

人の話を聞くのにそこまで関心がないからです。

 

そういう世の中であることも理解しないわけではない。

 

世の中少し 風向きが寒くで

心が2の次になっている時代でもあります。

 

自宅の両隣、同じ階の人、上の人、下の人。

ご挨拶をしたことはありますか?

引越しのご挨拶があるのをご存知ですか?

 

昔の古き良きは

どこかに風化されつつあるのです。

 

隣のおばちゃんに怒られ

近所のおじさんに叱られ

地元と言うのは全体で子育てを

していたのかも知れないですね。

 

人との関わりの薄さが

感情に別の物を植えつけ

会話の無さが団欒や家庭の温かみを

どこか遠ざけ

豊かになった分、

両親が家を空け鍵っ子になり

 

お友達は ゲーム になり。

 

叱られる怒られることを時に

虐待と使い間違えたり

親が子を殺す世の中、子が親を殺す世の中。

それが新聞をにぎわせ・・・

 

それを今の時代と呼ぶ・・・。

 

うつの社会も人間の手で

どうにかしなければ自殺傾向は増え

とどまるところを知らなくなります。

 

うつ はこもって治せません。

 

誰かのせい、何かのせいにして

楽になることはありません。

 

心療内科、精神科が恥ずかしいのではありません。

あなたが何かを恥じているからそう感じてしまうだけ。

 

恥ずべき診療ではありません

 

1歩を歩みだして下さい。

最初は投薬をして心の安定をしましょう。

 

また他人の言う言葉

本で見た内容があてはまったから

などそれらにすべてをゆだねない事です。

 

気にしない風潮ではなく

あなたの周り

あなたの身近

話す誰かがいる事で

あなた自身も気づきます。

 

関心を持ちましょう^^

 

あなたがまず優しい1

あなたがまず温かい1歩^^

あなたがまず勇気の1

 

この1歩で何かが動けばと思います。

 

与えられたいでは変わりません。

与える事で初めて1歩なのです。

 

下を向かない

上を向くことですヽ(^o^)丿

 

簡単ではない事を

私は一番知っているつもりです。

 

ですがだからこそ

歩む必要があります。

 

あなたにしか踏み出せない1歩なんです。

 

2011-01-27 過去記事より
 

 

こんばんは、玲子です

 

精神論と書いていますが

すごく偉そうなことも書かなければ

すごい事は書きません^_^;

 

どなたにでもあてはまるであろう

意識の事や壁の事を書きたいと思います

 

精神論と言っても

スパルタとかではありません。

 

精神性と自論はともて背中併せでもあり

また精神論と世論

精神論と精神世界など

様々な対象があったり

様々な比較があったりします。

 

ですが

私が思う精神性は自ら養うものであり

それぞれに生きる課題や

生きる為のステージ

乗り越える為の道のりが違うので

一概にこれ!と言うのがありません。

 

それぞれの精神性を精神論として

置き換えて自らの改革、変容を

生み出していくのが当然であると思います。

 

何かと正当化しようとして

一生懸命自論を展開しても

その方の育ち方、環境によって

またその方の考え方、思考、癖などで

すべてが変わってきます。

 

これは運命学でほぼ個性を

拝見していますが

魂と言う視点で見れば

その運命をもらい乗り越えるに

ふさわしい運命を運命(さだめ)として

頂いている気がしています。

 

どんなに素晴らしい運命家で

名前が知れていて周りから評価した時に

「学ばなくても大先生だ!」 

と言うような

著名な自分つが死ぬする時

 

「私には○○が足りなかった。

この人生、○○を学べば良かった」

 

と言いながら死した人がいたと

お話を聞いたことがあります。

 

評価とは周りの寸評や批評に準じる場合

評価とは自らの努力や誠実、智慧と努力と

言うように自分でどこまで掘り下げる場合と

 

過小評価、過大評価と言うのが

存在すると思われます。

 

精神論はきっと言い出せばキリがありません。

 

ですが自らのやりたい事

自らの信じる道を歩むことは大事な事。

 

時に何かを犠牲にしたり

時に何かを残して行ったり

時は孤独であったり

これは 課題 が大きければ

大きいほど孤独でつらい道のりとなるでしょう。

 

ですがこの孤独で長いであろうと思う

道のりこそが大きな光の入り口で

あるのだろうと信じています。

 

一番幼い精神論は

人の言うことに耳を貸さず

一見もせずに決めつけ

自論ばかりで他者をたたみかえる。

自らが正しいと議論し

間違った論を正当化するために

人を卑下し人を押しのけ

人の心を無視し歩むことであると感じます。

 

その精神性が育ったところで

心なき精神論となり

時には無情に時には独裁的に

我が欲に走るであろうと見解します。

 

人を見ずして精神論はありません。

心を無視して精神論はありません。

苦しいからこそ学び

苦しいからこそ、その光明は感謝なのです。

 

生きて学びを終える事はありません。

生きて完了はまず無しえません。

 

人の世も波動、波、規則性があります。

 

人は同じ世の中に生きていても

関わりのない人には縁は生まれません。

縁が生じると言うことは意味があることなのです。

 

そんなの理屈だ・・・

そんなのこじつけた・・・

 

そうですね^^

今はそう感じるかも知れません。

 

ですがあなたが会う相手が

意味なくして目の前に現れる事はありません。

 

じゃ・・・なんですか?

じゃ・・・どうしてですか?

じゃ・・・どういう意味がありますか?

 

こういう方が実に多いのですが

それを問う暇があるのならば

真摯に生き真摯に向き合いなさい。

 

そしてその意味と気づきを

自分で得る事です。

 

精神性とは自らでしか養えません。

 

本気で無いものにそれはありません。

 

これが精神であり神意です。

 

私はそう思えてなりません。

 

2011-01-27 過去記事

個の愛・・・
個の愛はあなたが愛している家族や
絆の深い異性
またはお友達など
あなたの目の前にある人々かな
大我の愛はそれが地球や宇宙・・・
自然と言う
大きなものへ愛。
すごく深い深い場所へと
その思いは放たれます。
私がいま愛している人。
そして愛している個。
その個へ向ける愛と
大我へ向ける愛が
同じ方向を見ているのです。
説明がわかりにくいかも知れませんが
今までは個に執着したし
その目の前にある大事なものを抱えていた。
どうしてもここを守りたい。
どうしてもここを救い上げたい。
その思いは果てしなく
愛しても愛しても足りない。
まだか・・まだか・・・
たくさんの相談者さんと向き合い
たくさんの人と話し
人それぞれの愛を
相談と言う形で見てきた。
私の中でどれほど真剣に聞いて
同じ思いを抱えているように回答をし
それでも個は個で。
自らの意志と回答が違うとき
人は奮起し「違う」と言い放つ。
怒りさえも受け止めそれを愛と受け止め
怒れるほどのエネルギーが愛だとしたら
それは紛れも無い個であり
自我が
生み出す愛は確信を持って
個であると。
自分の中で気づけなかった個を
次々と自分の中で受け止め
それでも受け止める度に葛藤し
個が小さいのか・・・
個が小我なのか・・・
個は自我なのか・・・
個はいけないのか・・・
迷えば迷うほど迷宮し
その迷宮が終わりがない事に気づいた。
なぜなら個は個の領域を脱しない。
私が目指しているものは個なのか・・・。
ずっとずっと・・・
胸に問いかけた。
私がいま愛しているものさえも個ならば
人が大我を求めても届かないのではないか。
私には大我と言う大きな存在や
光と言うとてつもない大きな存在を
はかり知ることはできない
これは生きている人間が大我を
散々眺めても
完全な理解などできないから。
人が死後を解明したり
魂の世界を解読したり
予測したりすることは可能でも
確実な接点や明確なビジョンは描けない。
イメージの中で浮かぶ個は
果てしなく小さな存在。
でも大我をイメージしたときには
あなたがいつも嫌っているかも
しれない人も
あなたが避けたい人物も
すべて同じ光から
生まれていてそれぞれがすべて大我。
すべての集合がなされる。
すべての万物が・・
すべての意識が統合する。
あなたがどんなに否定をしても
その限りない輪廻は必ず規則正しく動き
あなたのすべての行動や言動に対して
的確に呼応する。
それは絶対的な信頼や
絶対的愛の摂理だと
必ず答えは完結する。
すべての要因、原因には結果があり
人は自分で生きているかのような
錯覚を起こすけれどそこには答えがある。
でも学ばなければならない
人は五感と言う
素晴らしいものを持ち生まれ
この世に生を受け
生きることと感情を学ぶ。
その感情は
すべてあなたの中に記憶され
魂の学びと言う大役を過ごし
また自分たちの意識の世界へ
そして起源である
魂のふるさとへ還元される。
個の愛に無駄は無い。
その個の愛が大きく育つとき
あなたがいつか大我になる。
人は個を越えた時
いつか大我になりひとつになる。
神の意志と言うのは
あなたの持つすべてを愛しているはず
まったく無駄と言うもののない世界。
あなたの愛している人が先に死しても
安心してその流れに任せればいい。
死が終わりだと思うからこそ
あなたは悲しみ
執着してしまうかも知れない。
でも、いつかあなたも知るのです。
現世でえた学びは段階をあげるのです
魂の世界ではお帰りと言いながら
乱舞し喜ぶことでしょう
魂は喜び学びを統合に近づける為に
すべての愛を感受することでしょう♪
私自身もまだ生きているので
個の愛も、大我の愛も学び
学びの連続です。
あなたの持つ愛は
大きく広がる可能性があり
あなたの持つ光は
無限を秘めている。
生き急ぐことなど何もない。
あなたに与えられた命は必ず
まっとうする時期が来る。
その段階を終えるときまでは
あなたはあなたの持つ可能性と
あなたの持つ光を存分に
輝かせることを考えればいい
個の愛はあなたに力をくれる。
あなたが愛するもの
あなたを愛してくれるもの
ここは源です。
それが無ければあなたは
芯の無い筒になってしまう
イメージしてみてください
住宅街をあなたは歩いています
そこには様々な光が見えるはずです。
家族の笑い声、怒り声そして囁く声。
愛を語る声、未来を語る家族。
その家々に明かりがあります
それは個なのかも知れない。
でも、そのすべての個が
天に向かい舞い上がり光が
空に向かいあがるとき
その光は遠く彼方に昇り・・・
ひとつの大きな光となる。
愛が愛を大きく育み
光となることができていませんか?
様々な光がすべて
段階を得て上に昇り
すべての愛と声が
ひとつになっていませんか?
イメージができたらそれは大我です。
小さな家族や愛がすべてひとつになる。
すべての感情、五感が愛と変わり
変容していませんか
個の愛こそ愛すべき存在で
その個の愛が個を越えた時に統合する
あなたの愛も
最終地点は大我の愛です。
今の個の愛を
存分に感じてください
すべてをもって相手を愛し
愛されることが
大事な無限の光になります。
あなたが大我になるとき
さらに光は強くなり
あなたも大我として放たれるでしょう♪
★2007-11-10 過去記事

 

自分の持っている意識
と言うのがあります。
例えば未熟さを感じたとき
自分の心の容量を考えたとき
許せる範囲が狭かったとき
人を大きく見る度量にかけたとき
足りないと思う事や
まだまだかけていると思うときなど
人にはいろんな不足を感じる事などが
あると思います
私自身もここ最近
いろいろな出来事に
出くわす事が多かったり
自分の心の幅を計るような
出来事がたくさん出てきます
これは生きていれば誰もが
出てくる事だと思うのです。
自分自身が今まで生きてきた事と
今まで考えてきた事との
まったく正反対の出来事に
出くわした時に
人は対処に困り
また困惑してしまう事が
多々あると思うのです。
そんな時
私はすぐにチャンスだと思うか
いったんはめげたとしても
でも機会がなければ気づかないとか
その為に今があると
言うようにプラスに物事を
転換するようにしています。
自己の拡大と言うのは
おそらくマイナスな出来事から
学んでそこからその意図を自分で見出して
手繰り寄せるというのも
多々あることだと思うのです
マイナスで終わらせてしまうか
それとも
プラスを転じる手段を探すか・・・

頭をシンプルに切り替えてみるのも
すごくいいなと思うのです
または最近では
内観という言葉もあります。
自分の中で静かにただ静かに
自己を見つめるという事
これは時に自分の中で様々な声が
飛び交う事もあるでしょう
ですがすべて目の前から
流れているだけの意識とし
流れをそのまま眺めているだけです
自分を見つめると言う意味では
出来事に対して
ああだ、こうだと言うのを
自分の中でまとめてそれを
研磨にかけるように答えを出して行きます
石だって綺麗に見えても
自分で形を想像しそれに近づけて
形を作って行きます
それを考えると
人の意思や拡大と言うのは
自分の心の工程次第で
どうにでも形を変えられるのです
どんな現状であろうと
どんな状況であろうと
自分の持たされている意識と
潜在的な意志とは
必ずどこかでリンクしています
その内容をマイナスに向けずに
プラスに転化していくことが
自分の幸せの方向性に繋がったり

ポジティブな思考に
潜在意識という深い深層が
辿り着くのだと思います
人間として生きていれば
必ず波はあり
それも低い、高いはその場によりけりです。
自己の意識のを
拡大するために自分の取り入れるべき
情報はすべてプラス要素がいいです。
マイナス要素であれば
プラスに変換してから取り組むべき^^
意志あるところに本当に道はあります。
人間は脳みそがあるので
邪魔があったり
過去の痛みがそれを
排除しようとするかも知れません。
いい事でも恐怖を過去に1度でも
体験していれば
海馬はその思い出を探し出してきて
否定するかも知れません。
ですがどんな失敗でも
人間は失敗を繰り返して生きるもの
全否定ではなく
どうせならば
全肯定のほうがあなたにとっては
有意義なものかも知れません。
私は常に何でもあり^^
という気持ちではいますが
それでもそれを否定してしまう心が
生まれる事もあります。
そういう場合には
静かに意識を広げようとします。
自分の狭さが器ではありません。

自分で器を作れるのです

器は育つもの、経験するもの
おそれずに向かっても経験です

おそれて逃げても経験です
ですが同じ経験ならば
とりあえず何でも受けてみるのが
一番の経験であり
智慧に繋がります。
自己の拡大は
些細なヒントから生まれています

そのヒントを自分で
どのように掴み取るかも大事
あなたの意識は
どこまでも拡大できます^^
★2008年3月3日 過去記事

昨日はどうだった?
今日はどうだった?
明日はどうなる?

魂は常に答えをたくさん
用意しています

運命はたくさんの
答えの中から選びます

失敗したくないから
平穏無事を選択する

失敗してもいいから
ぶつかりながら歩く
すべてあなたが決めて
いいことばかりです
楽しいだけを生きるもいい
苦楽を生きるもいい
苦だけを生きるのもいい

だけど魂は知っています
感情と言う五感が
人にはあることを。
生きるのが楽だけならば
人は生を楽しめません
喜怒哀楽の中で人は
綺麗なもの
汚いもの
すべてを学びます
あなたの魂に耳を
澄ませてください

あなたの魂は
あなたそのものを愛し

あなたの魂は
真実の愛と信頼を
求めています
光に統合されるのは
私たちかけらです

ほんの一部です

ですがその小さな愛が
集まった時
神を照らし
神に照らされ
重なりあう喜びに
変わるのでしょう
生きることは
迷いの連続でもあり
光への邁進です
あなたの小さな命は
大きな大事な一部です
魂が魂を生かし
光が闇を照らし
闇があるから光は輝き
無限があるから
有限が存在します
私たちの命は有限
魂は無限であり
永遠です
神様がすべての魂を
愛して
すべての命を
育むために無償で
あることに
気がついてください

私たちは祝福
されているのです
そして肉体を卒業し
魂に戻るとき
歓迎され更に祝福され
神様の一部に一歩だけ
近づきます
あなたはただ
生きればいい
あなたはただ
生きればいい
最大の武器は
あなたに心がある事です

あなたの愛が
生まれた価値を高めます
★2009年4月10日 過去記事より

今日は 気づける人であること

気づける人であると言うことは
大変な事でもあると思います。

ですが
どんな些細な事でも
目を向けてみる、考えてみる事と
言うのはとても大事な気がします。

自分の行動や言動に
常に気を配ると自然とその中で
いまのは大丈夫であったか・・・
いまので良かったのかと
自分を振り返ったり
あらゆることに
目を向けるようになります。

もちろん
言い方を変えれば普通の正解の中で
常に気づかなければいけないと
言うことはないのかも知れないですね。

ですが人が人の生きている世の中で
生きていくにはやはり大事かなと^^

気を配ったり気を遣ったり
確かに面倒くさいかも知れませんが
この面倒くさいと考えるのをやめれば
思いやる部分も生まれるのではと・・・

思うことが多々あります。

人が人を思うことを面倒くさいと感じたり
又は人と関わることが
わずらわしいと思うのは寂しい事です。

私からすればですが^^

どんな時でも
どんな場所でも
どんな環境でも
どんな状況でも
何かに気づける人で
ありたいと思いますし
また感じたことも受け止めたことも
生かして生きたいと思います^^

気づけることが
出来ない自分ではありたくありません。

また気づきけるからこそ
人間と向き合っていけるのだと
感じます^^

自分の生かし方次第で
すべての方向は変わります^^

あなたも是非
気づける人であって欲しいと願います^^
★2010年12月6日 過去記事より

 

あなたの命が何歳で終わろうとも
あなたの命がどんなに苦しく感じても
あなたの魂はそれを理解している
あなたの持っている個性が
あなたが思うよりも人に受け入れられなくても
あなたは何も苦しむことは無いのです

あなたの個性は何よりも尊く
あなたの魅力はわかる人にわかれば良くて
あなたの存在はすべての人に知らせる必要もなく
あなたを好きな人があなたを囲みます

あなたの最大の武器を探してみて下さい
あなたの最大の武器が笑顔ならば
あなたへの神様からのプレゼントです

あなたが思うよりあなたは幸せなのです
あなたが自分を不幸だと思っていたら
あなたは自分で自分の可能性に蓋をしています

あなたが身体の不自由に悩んでいても
あなたのハイヤーセルフ、神々は
あなたのすべてを理解して受けいれています

あなたは安心して生きるべきなのです
あなたは安堵して羽を広げるときなのです
あなたが何にでも怒りやすいのならば
あなたの個性はまだまだ成長します

あなたはそこに落ち込む必要はないのです
あなたが人を憎んだり殺めたりしたくても
あなたはそれをしてはなりません

あなたがそれをすれば
あなたに対してそれはいつか返ってくるのです
あなたはそれを避けなければなりません
あなたが苦しんでいるのを
あなたの祖先や先祖は知っています
あなたを見守り応援しています

あなたはそれを知らなければなりません
あなたが何かに愛を向ければ向けるほどに
あなたに愛の花が咲くのです^^

あなたの知っている限りの愛と知恵を
あなたが差し出せばいいのです^^

あなたの幸せを・・・
あなの愛を・・・・
あなたの智慧と・・・
あなたの言霊・・・・
あなたの魂が・・・・

愛を永遠に繋ぐ1歩になります

あなたの平和を祈ります

 
★2009年1月20日の過去記事です


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